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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)7132号 判決

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  別紙記載の自筆証書による遺言が無効であることを確認する。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告及び被告らの母板〓〓ま(以下「〓ま」という。)は昭和五六年一二月二七日死亡した。

2  被告らは、別紙記載の自筆証書による遺言(以下「本件遺言」という。また右自筆証書を「本件遺言書」という。)が〓まの遺言として有効であると主張している。

3  しかしながら、本件遺言は、次の理由により無効である。

(一) 本件遺言書が作成されたとされる昭和四八年一月三〇日当時〓まは白内障のため目が見えず、また脳軟化症により判断能力もなかつた。

(二) 本件遺言書の自署部分には「板橋」と記載されているけれども、〓まは「橋」という字は書かず、「〓」と書くのを常としていたし、日付を算用数字で書くこともありえない。したがつて、本件遺言書は偽造されたものである。

(三) 抹消箇所に訂正印がなく、押印が栂印である。

(四) 〓まには本件遺言書が作成されたとされる昭和四九年当時自己名義の財産がなく、したがつて、遺言を必要とするような状況になかつた。

よつて、原告は、本件遺言が無効であることの確認を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は認める。

3  同3の冒頭事実は否認する。

同3(一)の事実は否認する。

同3(二)の事実は否認する。〓まは橋という字も使つていた。

同3(三)の事実は認める。

同3(四)の事実は争う。〓まは夫昇とともに長年にわたり苦労して築いた財産が相当あると考えていた。

三  被告らの主張

昭和四九年一月当時〓まの精神状態は正常で、自ら貸家や駐車場の賃料を集金して領収証に年月日等を記入し押印している。

また〓まは同年二月下旬急性肺炎、心不全で同月二四日から同年三月二五日まで東京共済病院に入院したが、発病は二月一八日であり、病状の経過、入院後の生活状況をみても、その年令の老女の言動として納得できるものばかりである。

このことからも、二月一八日以前〓まは完全な意思能力を有していたことが推認できる。

四  被告らの主張に対する認否

被告らの主張事実は否認する。

第三  証拠(省略)

理由

一  請求原因1、2の事実及び同3(三)の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  そこで、本件遺言の効力について判断する。

右当事者間に争いのない事実に成立に争いのない甲第一ないし第一〇号証、第一九号証、被告近藤恵真子本人尋問の結果(第一、二回)とこれにより真正に成立したものと認められる乙第三号証の一ないし六、第七号証、第九ないし第一一号証、第一三号証の一ないし三、鑑定人鳩山茂の鑑定の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、〓ま(明治三〇年四月一〇日生)は夫である昇と大正八年一二月一三日婚姻の届出を了し、五男五女をもうけたが、原告は二男、被告高村志計子は二女、被告中田谷羨子は四女、被告板〓彰は三男、被告板〓眞澄は五男、被告近藤恵真子(以下「被告恵真子」という。)は五女であるところ、被告恵真子は昭和四五年四月三〇日祐三と婚姻し、それまで肩書住所地で両親と共に生活し、昭和四七年他に転居したが、父昇が昭和四八年九月一八日死亡したため、〓まの面倒を見るべく、当時住んでいた池上から週のうち四日位〓まの所に通い炊事、洗濯等身の回りの世話をしていたところ、〓まが是非帰つてくるよう要求したので、昭和四九年三月再び肩書住所地に戻つて〓まと生活を共にするようになつたこと、ところで、〓まは夫昇が死亡した頃から次第にもの忘れが多くなり、昭和四九年三月には脳軟化症と診断され、老人性痴呆が進行していたが、その間同年二月急性肺炎と診断され同月二四日から翌三月二五日まで東京共済病院に入院したこと、しかし、同年一月下旬頃には〓まは自身で家賃などを領収してその旨領収証に記載する等意識、判断能力の点で格別劣るような様子はみられなかつたこと、そして、〓まは自己名義の不動産はなかつたものの、以前よりいずれは自己の財産を末つ子の被告恵真子に与えると同女に言い聞かせていたこと、被告恵真子は昭和五五年九月頃〓まが寝起きしていた部屋の押入れに入れてあつた洋タンスの引き出しの中から本件遺言書を発見したが、〓まは当時既に脳軟化症による痴呆の状態で正常な判断能力を欠いていたため、直ちに姉である被告高村志計子に相談し、その後被告ら訴訟代理人である有竹弁護士から保管しておくように言われ被告恵真子において保管していたところ、原告は〓まに対し禁治産宣告の申立てを行い(東京家庭裁判所昭和五五年(家イ)第一九号)、〓まを禁治産者とし、その後見人として被告恵真子夫婦を選任する旨の審判がなされ、右裁判は昭和五六年三月六日確定したが、〓まは同年一二月二七日死亡したこと、その後昭和五七年四月一二日東京家庭裁判所において本件遺言書の検認がなされたこと、ところで、本件遺言書に記載された文字の筆跡は〓まの筆跡に類似し、被告恵真子を始め同高村志計子及び同中田谷羨子はいずれも右検認手続において本件遺言書の筆跡が〓まの筆跡に類似する旨申述していることが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、〓まは昭和四九年一月三〇日本件遺言書を作成したものと推認するのが相当である。

ところで、本件遺言書の自署部分には板橋たまと記載されているところ、原告は、〓まは「橋」という字を書かず、「〓」という字を書くのを常としていたし、また抹消部分に訂正印がなく、押印が栂印であるから、本件遺言は無効であると主張するけれども、被告近藤恵真子本人尋問の結果(第一回)により真正に成立したものと認められる乙第五、六号証の各一によれば、〓まは「橋」という字を使用することもあつたし、抹消部分については、本件遺言書の日付の記載とおぼしき四文字と本文中の一字を塗抹したもので、右抹消部分には訂正印がなされていないから、そもそも右記載部分はその効力がないものというべきであるが、他の部分に日付(昭和四九年一月三〇日という年月日を記載した趣旨であると認めることができる。)が記載されているし、本文については本件遺言書の内容に変更を来すような本質的部分の訂正とはいえないから、結局本件遺言の効力に影響を及ぼすものとはいえないし、また栂印の点についても、自筆証書による遺言に押印を必要としたのは、遺言者の同一性を確保することと遺言が遺言者自身の意思に基づくことを担保することにあるから、栂印でも差し支えないというべきである。したがつて、原告の右主張は採用できない。

そうとすると、本件遺言は自筆証書による遺言として有効というべきである。

三  以上によれば、原告の本訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

別紙

〈省略〉

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